Strings work Ⅱ , 2014, mixed media, W200 x D182 x H276cm(78.7 x 71.7 x 108.7inch)
Strings work Ⅱ , 2014, mixed media, W200 x D182 x H276cm(78.7 x 71.7 x 108.7inch)
「Strings work Ⅱ」は私の大学院での卒業制作展で制作したインスタレーションです。
この時期ぐらいに私の作品に共通するテーマ、「虚と実がお互いの領域を行き来する関係性」がより明確になってきました。
作品はインスタレーションですが、これも「絵画のインスタレーション的なアプローチ」になります。
透明な糸(テグス)を部分的に黒色に塗ったもので空間を作っています。
それによって中央に四角いフレームが浮かび上がります。
この糸には、絵画としての「方向性や奥行きを表現する線」の意味合いがあります。
また、抽象表現主義のドリッピングが床置いた平面に描くのに対して、三次元の空間でそれをしているような繋がりも感じます。
これらの糸は後ろの壁(周りの空間)によって見え方が変化します。
黒い壁ならば浮かび上がるフレームは白く、白い壁ならば透明に見えます。
見えてくるフレームの部分は透明なので、本来見えません(厳密には見えづらいという表現になりますが)。
フレームの外側を塗ってフレームを浮かび上がらせることで、見えないものを関係性によって可視化しています。
これは私が当時研究していた老荘思想での「無は無限を内包する」という考え方や、そこに関係する山水画などの影響があります。
山水画や水墨など東洋画の「余白」は余っている白い部分ではありません。
「その部分を描いていない」というだけで、優れた作品は画面の中での関係性が生まれて機能をしています。
また、余白の白さ(これは紙が白いことが前提になりますが)は絵具の白色とは全く違います。
どんなに後から絵具の白を塗っても余白のようにはなりません。
これは、「絵具」と「紙」という物質としての違いがあるからです。
そして、「余白」の魅力とは絵具との関係性によって、ただの紙の色が画面の要素として呼応することだと私は考えます。
山水画や水墨の優れた作品にはこのように、風景や物が描いてあっても余白がただの虚構の空間性では無く、「紙という実際の物質としての面」も同時に認識させる豊かさがあります。
描かれる空間性という虚構と認識しながらも、紙という物質としても同時に認識出来ること。
それは、私の絵画作品での支持体の布地を尊重しながら描くこととも深い関係があります。
話をインスタレーションに戻しますが、このように実際の空間を取り入れた空間性(イリュージョン)を関係性として表現しています。
この場合、実際の空間を「実」、浮かび上がるフレームを「虚」として、お互いがその領域を行き来するように(関係性によって見え方が変化するように)しています。
形式としては上記の説明になるのですが、実際の空間やテグスに色を塗ることで本来は見えない、虚構のフレームを実体として浮かび上がらせているという逆の言い方も出来ます。
これらは私の絵画表現の、「側面を含めた表現(絵画の正面だけでなく、見える全ての角度を前提とする表現)」や、「絵画に実際に落ちる影を表現に取り入れる」など実際の空間との関わりを研究する上で役に立った作品です。
この文章を書いている最中にこのインスタレーションの新しい展開を思いつきました。
設営の問題で制作することが難しい作品ですが、機会があれば挑戦してみたいと思います。
「Strings work Ⅱ」のための習作。