※今回の内容は9月4日にFacebookに投稿したものと同じ内容です。
数日前に、国立新美術館の李禹煥展を友人と見に行きました。
個人的には「あれ?」と思うことが多い展示だったのですが、特に印象に残ったのが野外の展示でした。
この作品は2014年にヴェルサイユ宮殿で開催した個展の作品(関係項―ヴェルサイユのアーチ)のシリーズみたいです。
私個人としては、2つ石に挟まれた力によって、金属の板が湾曲した関係性というものが1つの要素だと感じました。
ただ、ヴェルサイユの個展についての取材したテキストをみると「金属のアーチの横に石が置いてある」という表現だったので、本人としてはそのような意図はないのかもしれません。
どちらにしても、分厚く巨大な金属板が、置いてるある石の力でキレイに湾曲する訳がないです。
また、仮に湾曲したとしても、その曲がり方がキレイすぎるので実際に起きたことではないことはわかります。
あと、金属板に近づくと板の曲がりはじめの部分に溶接をした跡がわかります(例えば、磨いた跡の光り方が違ったりします)。
私は、この作品がかなり危険な表現と感じました。
これは上で私が述べ、感じたことが前提となりますが、「関係性を表現するために、それ自体を形式化している」と考えるからです。
「関係項」いうシリーズは、国立新美術館HPのテキストを引用すると「〈関係項〉は、主に石、鉄、ガラスを組み合わせた立体作品のシリーズです。これらの素材には殆ど手が加えられていません。李は、観念や意味よりも、ものと場所、ものと空間、ものともの、ものとイメージの関係に着目したのです。」(※)とあります。
文字通り、物や空間での関係性を表現する、厳密には「関係をその場で起こすこと」が重要なのだと考えられます。
それは、その場でガラスを石で割る=成立ということではありません。
その行為によって、なんらかの関係性をその場にたちあげる(あがる)ことが重要だと私は考えます。
また、その場合、実際は起こってない関係性を、形式化して表現することは、関係性そのものと真逆になり、否定にもなり得ます。
私にとっては、今回展示してあった近年の作品は、そんなことを感じることが多いものでした。
<引用元URL>
※ https://www.nact.jp/exhibition_special/2022/leeufan/