毛利太祐
The Cracked Portrait 10
Pencil on paper, cracked glass, frame, H:95.2 W:69.4 D:6 cm, 2024
私と毛利さんは、以前に同じギャラリーに所属していました。
その毛利さんが、久々に国内で個展をすることなり、その時に私がフェイスブックに書いた文章を加筆修正した文章を載せたいと思います。
お勧めの展示紹介&ペインター目線の批評 ― 絵画は一度も死んでいない ―
すごく嬉しいお知らせをいただいたので、勝手ながら宣伝と絵画についての考えを書きたいと思います。
私が以前所属していたギャラリーの作家、毛利太祐さんの個展が、東京の「MITSUKOSHI CONTEMPORARY GALLERY」で本日から開催されます。
(※フェイスブック投稿当時は2024,3/20です)
毛利太祐「Apothanasia」
2024年3月20日 ~ 2024年4月1日(月)
日本橋三越本店本館6階美術 コンテンポラリーギャラリー
毛利太祐さんの作品について
今回の展示はまだ拝見していないため、過去作をもとにお話しします。
毛利さんの作品についてまず言いたいのは、「画像や印刷物では本質が伝わりにくい作品」であることです。
勘違いしやすいとも言えます。
これは私の作品にも似ているところがあります。
なので、実物をご覧いただくことで初めてその魅力を体感できると強く思っています。
The Cracked Portrait 10 部分
画像で見ると、毛利さんの作品は「細密描写」に分類されるように思えるかもしれませんが、それだけでは表面的すぎます。
多くの細密描写作品は、絵画の内部、つまり「虚構の中の世界」に焦点を当てています。
これに対して毛利さんは、絵画を「現実との関係性」や「絵画そのものの物質性」という視点で捉えているのが特徴です。
例えば、毛利さんの作品には額装されたガラスにヒビが入っているものがあります。
このヒビが実際のヒビなのか、描かれたものなのか、画像だけでは区別がつきません。
一方、一般的な細密描写では、このようなヒビは描かれることがほとんどですが、毛利さんは「実際の現象」としてヒビを取り入れることで、「虚構と現実の間を探る(又は、その境界を無くす)」表現を生み出しています。
この視点は、私自身の作品にも共通する部分があり、とても共感を覚えます。
描き途中の作品の拡大画像
毛利さんの細密描写の本質
毛利さんの作品は、ただの「説明的な描写」ではなく、鑑賞者が実際に「それが起きている」と感じられることに価値を置いています。
その背景には、毛利さんが大学で金工を学び、物質との繊細なやり取りを重ねてきた経験があるのではないかと考えます。
毛利さんの描写は、紙の凹凸や素材感を意識しながら、非常に高い精度で細密に描かれています。
それは「現実のガラスのヒビ」という強烈な現象に対して、ズレや間を生じさせるために必要な描写力であると言えます。
つまり、「細密描写は手段であり目的ではない」。
ここに毛利さんの作品の独自性と魅力があります。
毛利太祐
Portrait/Mirror 1, 2024
「絵画の死」について
「絵画の死」というテーマについても触れたいと思います。
私が思うに、「絵画の死」を訴える人の多くは、絵画の内部の問題、つまり虚構の中だけを見つめています。
その結果、無限にバリエーションが増えるだけになりがちです。
そして、それらの作品はストーリーやテキストによって意味づけされることが一般的ですが、それだけでは絵画は本当に「死んでしまう」と感じます。
一方で、毛利さんのように絵画の外側も含めて問題を扱う人たちには、まだまだ大きな可能性があると私は信じています。
その可能性は、「これまでの絵画という概念の『境界』」を問い直す中に見いだせるのではないでしょうか。
ここで、数学の「ポアンカレ予想」を解いたペレルマンの話を思い出します。
彼が用いた手法は、当時の主流ではなく廃れたアプローチでしたが、それこそが新しい発見を生んだのです。
同じように、絵画も過去のアプローチを再検討し、新たな価値を見出すことで未来を切り開けると考えます。